第31回 定期演奏会

ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲

ウェーバーは1786年ドイツ・リューベック近郊のオイディに生まれました。
ウェーバーが生まれた次の年、父が劇団を結成、幼いころからドイツ・オーストリア全土を回り、9歳の時から本格的な音楽教育を受け始めます。その後も旅先で音楽教育を受け続け、1799年には13歳で初めてのオペラ「愛と酒の力」を作曲しました。
1813年にプラハ歌劇場の芸術監督に就任しオペラの改革に尽力、低落していた歌劇場を復興させます。
また1817年にはザクセンの宮廷楽長に任命され、当時の宮廷ではイタリア・オペラが主流の中で、自身のドイツ・オペラを根付かせることにも成功しました。

オペラ「オベロン」は1826年ロンドンのコベントガーデン歌劇場の依頼により、英語で作曲されました。
完成後は自ら指揮を振りオペラは大成功を収めましたが、「オベロン」の作曲前から患っていた結核が悪化、初演からわずか2ヶ月後に39歳の若さでこの世を去りました。

オペラ「オベロン」はヴィーラントの叙事詩「オベロン」を基に、シェイクスピアの「夏の夜の夢」と「テンペスト」の内容をつけ加えたもので、全3幕から構成されます。
妖精王オベロンと王妃ティタニアの「真実の愛」をめぐる夫婦喧嘩と、妖精の魔法によってその騒動に巻き込まれるバグダッドの騎士ヒュオンと王女レツィアの愛の物語、またそれを見ていた妖精王夫妻も無事仲直りする、という物語です。
今日では台本が支離滅裂と評され、オペラとして上演されることはほとんどありませんが、序曲は「魔弾の射手」と並ぶウェーバーの代表作として、演奏会でよく演奏されます。

序曲は、魔法の角笛でオベロン王が呼びかけるようなホルンの音色で始まり、それに応えて舞い降りてくる妖精たちをフルートとクラリネットが可愛らしい音色で表します。
そんな穏やかな時間は弦楽器の強奏和音で一変、夫婦の喧嘩を表すかのように賑やかになります。
また劇中の旋律も用いられていて、中間部でクラリネットが奏でるメロディはヒュオンのアリア、コーダの伸びやかな主題はレツィアのアリアの再現となっています。

ヒンデミット:組曲「いとも気高き幻想」

ヒンデミットは1895年ドイツ・ハナウに生まれました。
作曲家としての才能もさることながら、様々な器楽奏者としても活躍していたヒンデミットは、1937年の初夏にヴィオラとヴィオラ・ダ・ガンバの独奏者として遠征していた先のイタリアで、モンテ・カルロ・ロシアン・バレエ団の主催者である舞踏家レオニード・マシーンと知り合い、意気投合! イタリアの聖地アッシジの聖フランシスコの宗教への目覚めを主題とするバレエ音楽の台本を共同で書き上げ、「いとも気高き幻想」と名付けたのでした。
同じ年の9月、ドイツからスイスに移住、演奏旅行や作曲講座をこなす生活の合間に総譜を完成させました。

ヒンデミットには歌曲集「マリアの生涯」(1923年)や歌劇「画家マチス」(1934年)など宗教的主題を扱う作品が多く見られますが、「いとも気高き幻想」は前述の作品に比べて柔らかく、軽く、明るいものとなっています。

バレエ曲は全11曲で構成されていますが、この中からヒンデミットは5曲を選んで管楽器を増強し、1940年に同名の組曲を作りました。
ベルリン・フィルでは1949年に初めて演奏されましたが、この時はヒンデミット自身が指揮しました

第1曲:導入部とロンド
導入部はバレエ音楽の第8曲「瞑想曲」の主要部からフランシスコが聖者の歓喜を感じる場面、続くロンドは第10曲「清貧との結婚式」によるものです。
導入部は規則的なリズムで書かれた古い様式の旋律を崇高かつ穏やかに奏でます。
ロンドは弦楽器のユニゾンからフルートの清純な旋律と続いた後、いくつかの主題を反復・模倣・再現しながら展開されていきます。
第2曲:行進曲と牧歌
「行進曲」はバレエ音楽の第4曲で、フランシスコが掠奪された農夫の悲惨な様子を見て失望するものの、結局兵士たちに打倒されてしまう場面の音楽です。
トライアングルとテナードラムを伴ったピッコロの軽快な独奏で始まり、やがて全楽器が加わり、荒々しく響きます。
中間部は8分の3拍子のフーガ形式で、弦楽器から木管楽器、金管楽器へと模倣して進行していきます。
再び賑やかなテーマが流れるも長くは続かず、やがて弱まりピッコロのメロディで行進曲が終わると、ヴァイオリンが純潔・服従・清貧を表すバレエ音楽の第5曲「三婦人の出現」を静かに表し、フルートとヴァイオリンで反復されると、平和で素朴な牧歌のコーダで終わります。
第3曲:パッサカリア
バレエ音楽の終曲「創造への最初の賛歌」で、聖者が忠実に太陽の歌を歌う場面です。
この楽章は金管群による簡潔でありながら崇高な主題が印象的です。
終盤にはフルートが同じ旋律を静かに歌い上げますが、再び主題は金管群へ移り、最後は宗教的精神の輝かしい上昇をもって楽章を締めくくります。

ブラームス:交響曲第2番二長調 作品73

ブラームスは1833年ドイツ・ハンブルクに生まれました。
父親が市民劇場のコントラバス奏者であったことから、幼少時から音楽のレッスンを施され、ピアニストとしての才能が開花、10歳の時に作曲家でピアニストのマルクスゼンに師事しました。
のちにレストランなどでピアノを演奏することで家計を補うなど、ピアニストとしての確かな腕前を持っていましたが、同じ時代にはピアノの名手が多く、地味な存在だったブラームスはやがて作曲を専業にすることを決意、演奏活動からは身を引きました。

ウィーンに住み始めた1862年から作曲活動に集中します。
「ドイツ・レクイエム」などを作曲し高い評価を得ると、ウィーン音楽院で講座を持つようにもなりました。

交響曲第2番は1877年に作曲されました。
完成に21年もの歳月をかけた交響曲第1番に対し、この第2番は第1番が完成した翌年に取りかかり始めると、わずか4ヶ月でほぼ完成させました。
避暑のために訪れていた南オーストリアのヴェルター湖畔ペルチャッハで触れた豊かな自然に感化されたのか、あるいはようやく第1番を完成させた解放感からか、緊張感が感じられる第1番とは対照的に、のびのびとした解放感や牧歌的な雰囲気に溢れています。
その曲の響きから、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」に例えられて「ブラームスの『田園』交響曲」と呼ばれることもあります。

第1楽章:ニ長調
序奏はなく、曲の随所に登場する低弦の短い導入で始まり、続いてホルンと木管楽器の牧歌的な第1主題が登場します。
ヴァイオリンの柔らかい日差しのような明るい旋律、チェロとヴィオラの落ち着いた和音による少し哀愁を帯びた第2主題が続きます。
コーダでは独奏ホルンや弦楽の幻想的な響きからだんだん弱くなってこの楽章を締めくくります。
第2楽章:ロ長調
冒頭、チェロが奏でるロ長調ながらも物憂い表情の下降旋律にファゴットの上昇旋律が同時進行していきます。この楽章ではこのような対位法的な作曲手法が随所に見られます。
また、ホルンから木管楽器、さらに第2ヴァイオリンへと引き継がれる経過主題、ヴァイオリンが歌うように流れる旋律の中でヴィオラとチェロ、木管楽器の掛け合いなど、楽器同士のやりとりも聴きどころの一つとなっています。
第3楽章:ト長調
間奏曲とスケルツォが交互に出てくる様な構成となっています。
冒頭はチェロのピチカートに乗ってオーボエが牧歌的にのどかな主題を可愛らしく奏でます。
その後4分の2拍子の速いテンポの中、弦楽器が田舎の舞曲のようにちょこまかと動き回りますが、冒頭のオーボエの主題が交互に現れ、変奏を重ねながらやがて穏やかな眠りにつくかのように曲を閉じます。
第4楽章:ニ長調
序奏はなく、弦楽器の静かに流れるような第1主題で始まりますが、やがて我慢できなくなったかのように突然、全管弦楽による強奏となります。
展開部では第1主題がそのまま出てきますが、すぐに形を変え、短調になります。
クライマックスを築いた後、静かになり、木管と弦楽器が第1主題の基本動機に基づく3連符で応答します。
コーダは主題に関連した金管楽器のコラール風のフレーズで始まります。今まで貯めていたエネルギーを爆発させるようなクライマックスになります。
トロンボーンの高音をはじめ、金管楽器が華やかに活躍し、燃えるような勢いのまま全曲が結ばれます。
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