第27回 定期演奏会

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲

カール・マリア・フォン・ウェーバー(Carl Maria von Weber, 1786年11月18日 - 1826年6月5日)はロマン派初期の作曲家、指揮者、ピアニストで、わずか11歳で初めてのオペラを作曲しています。「オベロン」などのオペラほか、「舞踏への勧誘」などの器楽曲も制作しました。
彼は、オーケストラの配置を現在に近い形に直したり、指揮棒を初めて用いたりした人物としても知られています。モーツァルトの妻コンスタンツェ・ウェーバーとは父方の従姉弟同士です。

本日演奏いたしますのは、全3幕からなるオペラ「魔弾の射手」の序曲です。
オペラは1821年6月18日にベルリンの王立劇場で、ウェーバー自身による指揮により初演されました。

舞台は1650年頃のボヘミア。ドイツの民話を題材とし、魔の潜む深い森や、封建時代の素朴な中にも良き生活を描いたこの作品は、オペラにおけるドイツ・ロマン主義を確立した記念碑的作品であり、その清新な音楽は新しいドイツ音楽を確立するものとして受け止められました。
また後に、9歳のときにこのオペラを観劇したワーグナーなどにも大きな影響を与えました。

ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容

パウル・ヒンデミット(Paul Hindemith, 1895年11月16日 - 1963年12月28日)は、ドイツ・ハナウ生まれ。作曲のほかに、ヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネット、ピアノなどをこなす多才な演奏家でもありました。
第一次世界大戦後、ロマン派からの脱却を目指し、新即物主義を推進。20世紀ドイツを代表する作曲家として同時代の音楽家に強い影響を与えています。
また生涯に600曲以上を作曲。交響曲やオペラばかりではなく、オーケストラを構成するほぼすべての楽器のためのソナタを作曲しました。

この作品はヒンデミットのアメリカ時代である1943年8月に書き上げられました。
ウェーバーの様々な曲の主題と、それらの変容の形を用いた4つの楽章から構成されています。
初演は1944年1月20日にアルトゥーロ・ロジンスキー指揮のニューヨーク・フィルハーモニックによって行なわれました。

第1楽章:アレグロ
(原曲:ピアノ連弾のためのアレグロ Op.60-4)
原曲は田園風景を彷彿とさせる、ハンガリー風の舞曲です。
冒頭から怪しげなメロディが弦楽器で奏でられます。
弦楽器や中間部のオーボエの旋律はウェーバーの原曲をそのまま生かしつつも、その裏に音が濁ってしまうほどのおびただしい数の対旋律が配置されています。
第2楽章:トゥーランドット、スケルツォ モデラート~レプハフト(活き活きと)
(原曲:劇音楽「トゥーランドット」 Op.37より 序曲と行進曲)
中国を舞台にした劇音楽「トゥーランドット」の序曲と行進曲がベースです。
原曲は小太鼓のリズムに乗ってピッコロを先頭にエキゾチックでかわいらしい行進曲が始まるのですが、こちらはチャイムとフルートのソロで静かに始まります。
パーカッションのみで演奏する箇所があるなど全楽器で主役を演じ、またジャズ的な要素が随所に感じられるなど、全4曲のなかでも最もヒンデミットの腕の見せ所が満載な楽章です。
第3楽章:アンダンティーノ
(原曲:ピアノ連弾のためのアンダンティーノ Op.10-2)
原曲はノクターン風の淡々としたピアノ曲です。
前半、クラリネットとファゴットの哀愁を帯びた独奏に、少しだけ重厚な伴奏が加わる形は原曲の雰囲気に近いです。
中間部はヒンデミットにより「トランクィロ(静かに)」と書き加えられ、さらに神秘的な雰囲気がかもし出されます。
後半の再現部は先ほどの主旋律の回りをフルートの伴奏(と呼ぶにはあまりにおこがましいほどの超絶技巧)で重厚さの中にかわいらしい軽やかさが加わって曲が締めくくられます。
第4楽章:行進曲
(原曲:ピアノ連弾のための行進曲 Op.60-7)
原曲は「Marcia(行進曲)」というタイトルと「Maestoso(厳かに)」という表記しかありませんが、ヒンデミットはここで原曲の曲調にこだわらず、アップテンポによるかっこいいマーチとして味付けを施しました。
重苦しい導入部は金管楽器のファンファーレに置きかえられ、続いて木管楽器群で緊張感のある主題が始まります。
中間部はほぼ原曲どおりに、3連符のリズムに乗って4本のホルンが主題を奏しますが、葬送行進曲的な原曲を忘れさせるような心地よい響きです。
小太鼓とトロンボーンで主題が再現したのち金管楽器の主導により最後のクライマックスが築かれ、最後は叩きつけるような変ロ長調の和音で終わります。

シューマン:交響曲第3番 変ホ長調「ライン」

ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)はドイツの作曲家、音楽評論家として活躍しました。ロマン派音楽を代表する一人で、妻のクララ・シューマンも名ピアニストです。
ドイツ、ザクセン王国のツヴィッカウに5人兄弟の末っ子として生まれました。
父は出版業者で、著作も行っているという環境の中で、早くから音楽や文学に親しみ、また作曲や詩作を試みるなど、豊かな才能を示します。しかし息子の音楽の才能を認めていた父は1826年に亡くなってしまいました。

安定した生活を願う母の希望で法学を学ぶことになり、1828年にライプツィヒ大学に入学します。しかし、シューマンは音楽家への夢を捨てることができず、1830年に高名なピアノ教師、フリードリヒ・ヴィークのもとに弟子入りしました。
1831年には改めて正式に作曲も学び始め、ハインリッヒ・ドルンに師事。
また評論家としても活躍し、1834年に創刊された『新音楽雑誌』の編集を担当。1836年には主筆となり、1843年に至るまで務めました。

作曲家としてはピアノ曲から歌曲を経て1841年に交響曲第1番『春』を完成させ、親友メンデルスゾーンの指揮で初演を成功させると、それ以降は幅広く作品を手掛けていきます。
しかしもともと患っていた精神障害が悪化し1854年には自殺を図ってしまいます。
それでも作曲を試みるなどしましたが、回復しないまま1856年にこの世を去りました。

本日演奏する交響曲第3番「ライン」は、1850年にデュッセルドルフの管弦楽団に招かれた際に作曲され、1851年2月6日に同地においてシューマン自身の指揮によって初演されました。
シューマンが完成した交響曲としては、実質的には4番目で最後のものにあたりますが、2番目のものは後年改訂出版されて「第4番」とされたため、第3番に繰り上がりました。
第1番、第2番から10年の歳月を経て作られたこの交響曲は明快なメロディと風光明媚な美しい描写がシューマンらしさを表していて、ロマン派交響曲の傑作のひとつとして挙げられます。

「ライン」という標題はシューマン自身がつけたものではありませんが、すぐそばを流れるライン川を好んで散歩していたことですし、ライン川沿岸やそれを取り巻く環境に大いに触発され、作られた音楽もまたそこに関連が深いことには相違ないでしょう。

第1楽章:Lebhaft (いきいきと)
変ホ長調のソナタ形式。
第1主題が第1ヴァイオリンによって冒頭から勢いよく奏されます。
第2主題は木管楽器が哀愁を帯びたメロディを奏でます。
展開部はこの2つの主題や経過句の動機を用い、後半ではホルンが第1主題を勇壮に奏でて再現部へとつなげていきます。
全体的にライン河畔の広大な風景を想わせる瑞々しい楽章です。
第2楽章:Scherzo, Sehr mäßig (きわめて中庸に)
ハ長調でラインの河が流れるような楽章。
弦楽器のたゆたうようなリズム、短く続く対照的なリズム、そして管楽器の奏でる柔らかい響きから構成されます。
第3楽章:Nicht schenell (早くなく)
変イ長調のゆったりとした楽章です。
木管楽器の呼びかけるようなフレーズや中低弦楽器の牧歌的なメロディが印象的です。
ライン川を眺めながら瞑想しているかのように、音楽が終始静かに流れていきます。
第4楽章:Feierlich (荘厳に)
楽譜の調記号は変ホ長調ですが、実際の響きは変ホ短調となっています。
ラインにあるケルンの街の、ゴシックの大聖堂の厳粛な雰囲気を見事に表している楽章です。
金管楽器がコラール風の長い旋律を奏で、これを他の楽器がカノン風に受け継いでゆきます。
第5楽章:Lebhaft (いきいきと)
再び変ホ長調となり、第1楽章のように喜びに満ちた風景描写の美しい楽章です。
活気のある軽快な主題が弦楽器によって奏されます。
展開部では第4楽章の主題も登場し、再現部に向けては長いクレッシェンドで盛り上がっていきます。
コーダでも再び第4楽章の主題が登場し、情熱的な感動を高めながら崇高な響きになり曲を締めくくります。
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