第19回 定期演奏会~ブラームスの競演~

ブラームス:大学祝典序曲

19th定期パンフレット1879年3月、ブレスラウ(現在のポーランド、ブロツワフ)の大学から、名誉哲学博士の称号を贈られたブラームスは、大学への返礼として翌1880年夏にこの曲を完成させています。

曲は4つの学生歌を基にまとめられ、明るさと力強さで広く親しまれています。

通常序曲というと、オペラやバレエなどの幕開けの前に演奏される曲を指しますが、この曲は単独で一つの作品となっています。

ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調

  1. Allegro con brio
  2. Andante
  3. Poco Allegretto
  4. Allegro

ブラームスは1883年の夏を温泉保養地として有名なヴィースバーデンで過ごしています。この地には、当時の新進アルト歌手ヘルミーネ・シュビースが住んでいました。
二人は周囲から結婚が噂されたほどの中だったのですが、結局はゴールインできませんでした。
そんな中で書かれたのがこの曲で、幸福感と不安が複雑に入り混じった曲想が、当時の作曲者の心境を表しているようにも思えます。
決して明るくないこの曲が、人気を得ている理由も、そうした身近な感情が背景にあるからなのでしょうか。

曲そのものは伝統的な4楽章構成で編成も小さく、大編成の華やかな曲が次々と発表されていた当時としては、かなり保守的な曲だったようです。
演奏面ではかなりの難曲で、アマチュアは手を出すべからずと言われていた程ですが、近年では敢えてこの曲に挑戦するアマチュアオーケストラも見られるようになりました。
本日、身の程知らずと知りながらも、我々もあえてこの難曲に挑戦いたします。

初演は1883年12月、ウィーンにてハンス・リヒター指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われました。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  1. Allegro con troppo
  2. Adagio
  3. Allegro giocoso、ma non toppo vivace

協奏曲としてはごく普通の3楽章構成のこの曲ですが、当初は4楽章構成で作曲されました。しかし、作曲者にとって、中間の二つの楽章が満足いくものではなかったため、新たにアダージョを書いて第2楽章としたため、現在のような3楽章になりました。

初演は1879年1月1日、ライプツィヒで、19世紀ヨーロッパを代表するヴァイオリニストの一人であり、またブラームスの良き友であったヨーゼム・ヨアヒムの独奏、ブラームス自身の指揮により行われ成功を収めました。
ブラームスは、この曲を書くにあたり、何度もヨアヒムに助言を求めています。彼の協力なしにはこの曲の完成はなかったと言って、過言ではないでしょう。

曲は通常40分近くを要し、協奏曲としてはかなりの大曲となっています。
演奏する側にとっても難曲であり、本日世界的に著名なバイオリニスト天満敦子さんをお迎えし、この曲を演奏できることは大変幸せなことであります。

ヨハネス・ブラームス (1833.5.7 ハンブルグ ~ 1897.4.3 ウィーン)

スケールの大きさはワーグナーやブルックナーに及ばず、ヨハン・シュトラウスやチィコフスキーのような優雅さや華やかさはない。しかし、渋さなら誰にも負けない。
一般的なブラームスに対する印象とはこんな物ではないでしょうか。

ブラームスは、7歳からピアノを習いはじめ、15歳から本格的な演奏活動を始めていますが、13歳の頃からすでに酒場などで演奏し家計を助けていたと言われています。
聖書とドイツロマン派の詩に傾倒し、それは後に「ドイツレクイエム」(1868)などの作品へと発展していきました。

1853年にはリスト、シューマンといった大音楽家と知り合うこととなり、特に彼の才能に目を付けたシューマンは、彼を世に送り出すために尽力しました。
そして、ブラームスは1862年以降ウィーンに定住し、この地で音楽家としての頭角をあらわしていきました。

ブラームスが活躍した19世紀という時代は、世界中が激動で渦巻いていました。
ヨーロッパではプロイセン、オーストリア、フランス、オスマン帝国などが覇を競い、アジアでは日本の明治維新、中国の清王朝末期におけるアヘン戦争などの大事件続き、またその他の地域でも諸勢力が入り乱れての混乱状態が続いておりました。
文明の方に目を転じると、蒸気機関車、紡績機、電話、各種電気製品などが発明され、また医療、自然科学分野での発見も相次ぎ、近代化が一気に加速しました。
また、エジソンによって録音技術が発明されたのもこの時代です。

それでは、音楽分野での発達はというと、オーケストラの編成の巨大化が進み、現在のような大編成のオーケストラが一般的になったのがこの時代です。
当時のウィーン楽壇は、大編成で歌劇や標題音楽に力を注ぐ一派と、伝統的な形式美を重視する一派とに対立しており、前者の代表選手としてはワーグナーやブルックナー、そして後者の代表選手としてブラームスがあげられます。

ところで、ブラームスは生涯独身でした。いくつかのロマンスもあったようですが、いずれも成就しませんでした。
特に、シューマン亡きあと、未亡人のクララ・シューマンとの特別な関係は有名です。

本日は「ブラームスの競演」と題し、彼の作品ばかり3曲並べてみました。
それぞれの曲の背景には、名誉、恋愛、はたまた友情であったりと、作曲者の人生のそれぞれの時代におけるいろいろな背景があるようです。

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