倉澤 杏菜 さん インタビュー(続編-2)

さて、その続編(後半)をお伝えします。

(オケ)その後の3年間の活動はどのようなものがあったでしょうか?

 (倉澤様)ドイツを中心に活動をしてきました。
コンサートホール、オペラ座、教会やオープンエアなど、様々なシーンでのコンサートに出演してきました。
私が演奏家を続ける一つの大きな理由には、「アンサンブルが好き」という事があるのですが、この3年間は、ソロ活動に加え、本来私が大好きな音楽の形である、室内楽を演奏する機会も増えました。仲間と一緒に演奏する事は非常に刺激的ですし、お互いに寄り添い、そして尊重しながら一つの音楽に作り上げる作業はとても面白いです。
またオーケストラとの共演にも恵まれ、モーツァルトから邦人現代曲まで、色々なレパートリーを演奏させて頂いてきました。
中でも昨年ベルリンフィルハーモニーホールで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏した事は、とても大きな経験でした。私のピアノ人生の中で憧れでもあった曲なので、大きな到達感と、そしてそこから新しい扉を開いたような、記念すべき出来事でした。

また演奏活動だけでなく、指導者としての立場にも力を入れるようになりました。
生徒への言葉一つ一つは、自分に通じることも多く、とても勉強になりますね。この夏は恩師、デッレ・ヴィーネ教授からの誘いを受け、ポルトガルで開催されたインターナショナルピアノアカデミーに指導者として参加させて頂きました。
教授に並んで指導させて頂けた事は大変光栄で、大きな糧となりました。
あっという間の、濃い3年間だったと思います。





(オケ)一昨年の年末には、橋本の「杜のホール」でリサイタルがありました。招待状をいただき、私も聞かせていただきました。とても楽しい演奏会でしたね。 


(倉澤様)ありがとうござます!
あの時に頂いたワイン、とても美味しかったです。
このリサイタルはとても思い出深いものです。
といいますのも、私が卒業した市立中央小学校の、当時の校長先生や音楽の先生を筆頭に、沢山の先生方が一年以上を掛けて、企画運営をして下さったリサイタルでした。
本当にあたたかく支えて頂き、応援して頂いて、今でもあの時心に深く響いた先生方の優しさ、そしてリサイタルでお客様から頂いたパワーは、ベルリンで私を奮い立たせてくれています。
たまたまですが、私がデビューリサイタルを行ったのが、2006年の杜のホール、それから丁度10周年にあたる年に、また杜のホールに戻れたことも感慨深かったです。
ちなみに、このリサイタル開催のきっかけとなったのは、3年前に皆さんと共演させて頂いたチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番の演奏会に、先生方が来てくださり、そして地元でのリサイタル開催をと、立ち上がって下さったんです。
ですので、相模原市民交響楽団さんとのあの日の演奏会が全ての始まりとなっていたんですよ!






 (オケ)さて、次回はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。次の演奏会への意気込みを教えてください。


(倉澤様)3年前に皆さんと共演させて頂いた時に、お客様が書いてくださったアンケートを楽団の方より頂き、その中に次回はラフマニノフ2番を聴きたいと書いて下さった方々がいらした事を覚えています。
私もそんな日が訪れれば良いな、と思っていたので、今から共演がただただ待ち遠しいです!

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、私がまだ日本で学生をしていた頃に、心底ハマり、没頭した曲でもあります。人間の喜怒哀楽、深い感情を曝け出したこの曲には、非常に胸を打たれ心を揺さぶられます。
今回改めてこの曲と向き合い、楽譜を読み込む事で、ますますこの曲の魅力に取り憑かれています。
今から皆さんと奏でる音を頭の中で想像し、それが実現する日を楽しみに準備しています。
そして、私の大切な故郷 相模原で、地元の皆さん、遠方から駆けつけてくださる皆さんに、相模原市民交響楽団の方々と、良い時間をお届け出来たらと心から願っています!




 (オケ)ありがとうございました。それでは、9月16日グリーンホールでの演奏会、楽しみにしております。

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