相模原出身の倉澤杏菜さんの演奏会を盛り上げるために、作成したページです。共演によって相模原市民交響楽団のメンバーのハートをグッとつかんだソリストであり、倉澤さんも当団のことを大切に思っていただいています。このため、このページを引き続き掲載することにしました。倉澤さんの「ベルリンの舞台裏-番外編”ふるさと”」もぜひお楽しみください。


倉澤 杏菜 さん インタビュー(1)

相模原市民交響楽団の平成27年度プロムナード・コンサートでは、ピアノソリストとして、倉澤杏菜様をお迎えし、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏します。倉澤様は、相模原のご出身で、現在ドイツ・ベルリンを本拠地として演奏活動をされています。当団のことも、昔からよく知っていたそうです。そこで、実際にベルリンまで行き、倉澤様にインタビューをしてきました。
倉澤様の、ピアノ・音楽そして相模原への強い思いが伝わってくる、本当に楽しいインタビューでした。



(相模原市民交響楽団・・以下オケ)倉澤様、初めまして。本日は、お忙しいところ、ご対応いただき誠にありがとうございました。

 (倉澤様)こちらこそ、わざわざベルリンまでお越しいただき、ありがとうございました。 



(オケ)倉澤様は、相模原ご出身でいらっしゃるとか。 


(倉澤様)生まれは両親の故郷、静岡ですが、生まれてすぐに相模原に移り住み、留学する2006年までの22年間を、相模原で過ごし育ちました。中央小学校でした。


 (オケ)えー、そうなんですか。私は、清新小学校、清新中学校でした。あ、あまり関係ないですね(笑)。 ピアノは、何歳ごろからはじめられたのですか?


 (倉澤様)4歳からでした。

 父の知り合いが、海外赴任をする事になり、アップライトピアノを戻ってくるまでの間、預かって欲しいと頼まれたようなのです。しかし、まだ私と兄が小さかった事もあり、傷をつけてしまうかも知れないからと、買い取ったことがピアノとの出逢いでした。

 ヤマハの幼児科クラスに4歳から通い、小学校1年生からは、専門コースというクラスに入れてもらうことできたので、週2回、町田に一人で通っていました。

 譜面通りに弾くという作業、要するに練習がとても苦手で、ピアノに座ったとしても、先生に注意された事を直すのではなく、即興で自由に弾いてばかりでした。中学で、桐朋女子中学校に入学したのですが、その時に、丁度ヤマハのコースも終了し、隣に有名な音楽学校があるからと、付属の音楽教室に通う事になりました。



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